岸田裕子(岸田文雄総理の妻)の学歴や経歴がすごい!元マツダ役員秘書で英語が堪能!

政治家

第100代岸田文雄首相岸田裕子夫人。

総理大臣の妻として注目を浴びる裕子夫人ですが、外交スキルなどにも長けているようですね。

そして岸田文雄首相とは今でも仲の良い夫婦として知られているようんですよ。

そこで今回は

・岸田裕子夫人のプロフィールや学歴や経歴の紹介(英語力や外交としての仕事など)
・岸田裕子夫人と岸田文雄氏の馴れ初めとは?

こういったことを記事にしますので、最後までご覧ください。

岸田裕子夫人のプロフィールや学歴、経歴

まずは、岸田裕子夫人のプロフィールをみてみましょう。

岸田裕子夫人のプロフィール

名前 岸田 裕子(きしだ ゆうこ)
旧姓 和田 裕子
生年月日 1964年8月15日 58歳(2023年4月現在)
出身地 広島県
中学高校 広島女学院中学高等学校(中高一貫校)
最終学歴 東京女子大学卒業
家族構成 夫:文雄 子:息子3人
職歴 マツダ株式会社 役員秘書
岸田裕子夫人は広島県出身ですね。

裕子夫人にはがいます。

男兄弟に挟まれてたため、「男には負けないぞ!」という気持ちで、中学受験や大学受験に励まれたそうです。

上品な裕子夫人からは想像がつかないですが、負けず嫌いな一面があるようですね。

岸田裕子夫人は三次開発興業株式会社の社長令嬢だった!

岸田裕子夫人は広島県三次市にある三次開発興業株式会社の社長である和田邦二郎さんの長女

すなわち社長令嬢です。旧姓は和田裕子(わだ ゆうこ)ですね。

会社名 三次開発興業株式会社
代表者 和田邦二郎
所在地 〒728-0012 広島県三次市十日市中2-12-41
資本金 12000(千円)
設立 1969年4月
事業内容 不動産賃貸業(不動産業・レンタルリース業・不動産賃貸業など)
54年も続いている会社です。
裕福な実家で育ちの良さがわかりますね。

岸田裕子夫人の学歴

広島県三次市小学校広島女学院中学高等学校東京女子大学
☆広島県三次市小学校
岸田裕子夫人が広島県三次市出身であるため、地元の小学校に通われています。
☆広島女学院中学高等学校
広島女学院中学高等学校は中高一貫の学校であり、私立の女子高になります。
中学校の受験で入学がきまるのですが、偏差値は62と難関校ですね。
キリスト教の学校で、名門お嬢様学校として有名な学校でもあります。
また学びの特徴として、「国際社会で活躍できる女性を目指すグローバル教育」に力を入れて英語に関しては高校卒業までに英検2級以上を取得する生徒は76%もいるそうです。
岸田裕子夫人も中高6年間の間に英語力を鍛えておられたんでしょうね。
また高校では「水泳部」にも所属しておられたようですよ。
学力も体力も鍛えておられたんですね。

☆東京女子大学
出身校だった広島女学院には広島女学院大学もあったのですが、そちらには入学せず、「東京女子大学」の文理学部日本文学科」に入学されました。

偏差値は47-55程度です。

こちらでも国際食の強い学科がありますので、裕子夫人は英語教育だけではなく、
国際的な学問を学んでいたのかもしれませんね。

学歴を調べるだけでも、総理夫人としての下積みのような経歴ですよね。

岸田裕子夫人の大学卒業後の経歴

東京女子大学を卒業後は、広島県の自動車メーカーである「マツダ」に就職します。

そこで当時社長だった和田淑弘らの役員秘書を務めます。

当時の写真がこちら

物凄くお綺麗ですよね。そして美人だけではなくて賢さが滲み出ているのがよくわかりますね!

才色兼備でとてもモテていらっしゃたんではないでしょうか?

岸田裕子夫人と岸田文雄氏の馴れ初めとは?

1988年、お見合いで結婚されています。

裕子夫人は

「初めて会った瞬間、『私、この人と結婚するんじゃないかな』と思ったんです」

と話しています。
運命の出会いだったんですね。

岸田文雄首相が当時の衆議院議員であった父親の岸田文武さんの秘書になった翌年でした。。

岸田総理が31歳で裕子夫人が24歳

の時の結婚でした。
総理と夫人の年の差は7歳です。

父親の岸田文武さんは広島県で初当選しています。
広島県出身の裕子さんとは元々ご縁があったのではないでしょうか。


引用元:Google

岸田文雄総理が若いですね~!!

岸田文雄総理との間には3人の子供!

そして3人の子供にもめぐまれています。

長男:翔太郎
次男:晃史郎
三男:名前非公表

長男の岸田翔太郎さんは、岸田総理の秘書もしていますよね。
2023年5月で秘書を辞職してしまいしたね。

とても残念です。

家族で岸田総理を応援している動画もあります。

3人の息子さんとも爽やかでイケメンではないでしょうか?

また、裕子さんは岸田文雄氏の事務所を管理するために
拠点を広島に置いているそう。
主には支援者まわりの活動などを行っていたようです。

まさに内助の功とはこのこと!

裕子夫人は東京と広島を頻繁に行き来しているのでしょうね。

そのため、子育てはワンオペでかなり大変だったそうです。
しかし父親不在でもしっかりと息子たちを育てるため、厳しく育てたそう。

「やはり、たいへんでした(笑)。ふだんは父親が家にいない分、厳しく育ててきたつもりです。幼いころはまだ言えばちゃんと理解してくれていましたが、成長するにつれて息子たちも反抗期をむかえますからね。中学や高校になると、だんだん力ではかなわなくなってきます。それでも『ここで引いてはいけない!』と思い、育ててきました」

妻立たせ食事…岸田政調会長炎上に妻が反論「風呂掃除は夫」 - livedoor ニュース

3人の男の子をほぼ一人で育ててこられた裕子夫人の体力と気力は凄いですよね。

岸田総理が東京で単身赴任のため、「家は私が守る!」という使命があったのでしょうね。

外務大臣夫人としての外交スキルが高評価

2012年~2017年まで岸田文雄さんは外務大臣を務めていました。
裕子夫人は岸田文雄外務大臣の外遊にも付き添い、式典にも出席されていました。

2016年には安倍元首相の奥様である昭恵夫人と一緒に、
岡山の加計学園で行われた「国際弁論大会」に出席されていたようです。

もちろん、岸田文雄氏が総理大臣になってからも、
各国の要人をおもてなしされている夫人は海外からも好印象を得ているようです。

G7で外務大臣夫人として外相夫人をもてなす裕子夫人

2016年のG7では、岸田外務大臣夫人として各国の外相配偶者をもてなしました。

「G7広島外相会合におけるおもてなし(配偶者プログラム)」では、
外相配偶者一行と広島平和記念資料館を訪問・視察し、原爆被爆者証言を聴講したようです。

G20バリ・サミット及びAPEC首脳会議に総理夫人として出席

またG20では岸田文雄総理大臣夫人として、ASEAN関連首脳会議、G20首脳会議、APECに出席するためカンボジア、インドネシア、タイを訪問した岸田総理に同行し、各滞在地において、様々な活動を行いました。

 

引用元:外務省

このサミットでもそれぞれの国の方達としっかりと意見交換をされておられたようですね。

総理夫人として、各国の夫人たちと会談

ラーニア・アル・アブドッラー・ヨルダン王妃と両国の観光地や、両者の共通の興味事である子供達への教育について意見交換を行ったようです。

岸田裕子夫人のエレガントさは王妃に負けていないのではないでしょうか?

まとめ

岸田裕子夫人広島女学院の中高一貫に通われており、そこで英語の教育をしっかりされていたと思われます。

東京女子大学を卒業後は大手自動車メーカーである「マツダ」へ入社し秘書として働きます。その後1988年に岸田文雄総理とお見合い結婚します。

外相大臣の夫人としておもてなしをされ、総理夫人としても会談やおもてなしをされているようですね。

今回の訪米であるジル夫人の招待では夫人としてどんな会談をされるのでしょうか?
日本と欧米のよりよい関係をさらに築いてほしいですね。

これからも総理夫人としての気苦労も多いかと思いますが、応援しております。

最後までありがとうございました!

 

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