三淵嘉子の家系図!夫は会津藩にルーツ!子供や子孫についても調査【虎に翼】

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2024年の前期放送、朝ドラ『虎に翼』。

『虎に翼』の主人公のモデルである三淵嘉子(みぶちよしこ)さんが女性初の弁護士として活躍されました。

戦前でまだ「女は家庭に入るべし」の時代に法曹の世界で戦ってきた三淵嘉子さん。

どういった家族の中で人生を歩まれてきたのか、気になりませんか?

そこれ今回は、

三淵嘉子さんの家系図を作成してみた!
三淵嘉子さんの両親について
夫や子供についても!

こういったことについて調べてみたいと思います。

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三淵家の家系図

では、三淵嘉子さんの家系図をみてきましょう。

 

三淵嘉子さんは旧制武藤です。

武藤家の5人兄弟の第一子で長女です。

また後述しますが、三淵嘉子さんが再婚した夫は会津藩の末裔となります。

では詳しくみてみましょう。

三淵嘉子の両親(父親・母親)

三淵嘉子さんが育った環境で最も影響があるのは、御両親だと思われますので、まずはご両親からみていきましょう。

三淵という姓は再婚した後の姓で、旧姓は武藤です。

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父親:武藤貞雄

嘉子さんの父親は、武藤家に養子に来ています。父親の旧姓は宮武と言います。

父親である貞雄は、明治19年生まれ、香川県の公立中学校である丸亀中学から一高を経て東京帝大卒(今の東京大学)という学歴の持ち主。

やはり嘉子さんの御両親ですよね。父親はかなり頭脳明晰だったことがわかりますね。

父親は大学卒業後、台湾銀行に勤務し、シンガポール支部→ニューヨーク支部を経て、日本へ帰国。

東京都渋谷区へ住まいを置きます。

父親はエリートサラリーマンだったのですね。

ちなみに、三淵嘉子さんは、父親がシンガポール勤務の際に長女として生まれます。

まだまだ「女は家庭に入ることが一番」だと考えられていた時代に、貞雄さんは、

「何か専門の仕事を持ちなさい。医師や弁護士はどうか」

と話していたそう。かなり現代的な思想をお持ちの父親だったようですね。

そういう思想の影響を受けて三淵嘉子さんは育ったことが分かりますよね。

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母親:武藤ノブ

三淵嘉子さんの母親は武藤ノブさん。

母親のノブさんの実家は不動産業を営み、裕福な家庭のお嬢さんといった方だそう。

また夫の貞雄とは違い「女は結婚して家庭を守るべし」といったその時代の主流な考え方を持っていました。

そのため、三淵嘉子さんが弁護士になるため、明治大学専門部女子部に入学する前には「嫁にいけない!」と猛反対したそう。

ノブさんは猛反対していたものの、娘が弁護士になるまでの苦労や苦難を陰ながら応援していたのではないでしょうか。

民主主義で現代的な思想の父と愛情深い母親の元で嘉子さんは育ってきたのでしょうね。

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三淵嘉子の夫

三淵嘉子さんは2回結婚しています。

最初の結婚は28歳のとき。この時既に弁護士になっていました。

お相手は父親の親友の親戚である和田芳夫(わだ よしお)さんという方でした。

その内子宝にも恵まれ、結婚して2年後に息子の芳武(よしたけ)が誕生します。

幸せな結婚生活を送るものの、長くは続きませんでした。

夫の芳夫さんは1944年息子が産まれて1年後、戦争で徴兵されます。

1946年終戦後、上海から引揚てくるものの、途中に長崎陸軍病院で病死します。

この時息子の芳武は3歳。

嘉子さんは両親も既に他界していたため、生きていくために、働かねばなりません。

自分のできる仕事と言えば弁護士。裁判官になるため猛勉強をし仕事をしました。

再婚相手(夫)は裁判官

最初の夫和田芳夫さんが亡くなって10年後の1956年、嘉子さんは再婚します。

再婚相手は三淵乾太郎さんといい、東京地方裁判所判事を務めており裁判官のため同じ立場の関係だったようですね。

職場恋愛からの結婚だったのでしょうか。

また三淵乾太郎さん自身も以前に結婚していた妻を失くしていたため、嘉子さんとは再婚でした。

三淵乾太郎さんは既に4人のお子さんがおられたため、嘉子さんは4人の子供の継母になっています。

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夫の父親(義父)は日本の初代最高裁判所長官

夫の父親であり嘉子さんの義父は、三淵 忠彦(みぶち ただひこ)で、日本の初代最高裁判所長官をされた方です。

三淵 忠彦(みぶち ただひこ)さんは東京帝国大学法科に入学しますが、両親と弟を失くし失意の中学業を断念します。

しかしその後京都帝国大学の法科に入学し直し、25歳で卒業後は、地方裁判所の判事、大審院判事となり民事裁判官として名声をはせました。

実は、小田原市にある”甘柑荘”は三淵忠彦さんの別荘で、現在は一般公開されていますよね。

また三淵 忠彦さんは会津藩士・三淵隆衡の長男として生まれています。

父・三淵隆衡(みぶち たかひら)は会津藩士の家老・萱野長修(かやの ながはる)の実弟でした。

萱野家番頭や奉行を務める名家でしたが、戊辰(ぼしん)戦争の敗戦後の藩の全責任は、藩主ではなく、家老が責任を問われました。そのため萱野長修がその責任を負い切腹します。

忠彦の父はその萱野長修の実弟に当たり、家名は断絶され、三淵(みぶち)を名乗るようになりました。

つまり日本の初代最高裁判所長官の三淵忠彦さんの祖先は、代々会津藩士の家老を務めてきた名家となります。

奥様(嘉子の義母)は静(しず)さんと言います。

日本の上級国民は名家と代々繋がりがあるものですね。

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三淵嘉子の子供や子孫

上述したように三淵嘉子さんには実子の息子は三淵芳武さんが1人いらっしゃいます。

再婚相手である三淵乾太郎さんには一男三女の4人の連れ子がいたため、5人の母をされていたということですね。

三淵嘉子さんと三淵乾太郎さんとの間には子供は生まれませんでした。

そのため、お互いの連れ子で5人の子供がいるということになります。

三淵芳武(嘉子の実子)
三淵力
三淵麻都
三淵奈津
三淵那珂
でした。子供達の詳しい職歴などは調べることができませんでした。
またそういった子孫へ繋がっているのかも今のところ不明です。

また分かり次第更新させて頂きますね。

三淵嘉子の家系図!夫は名家で、両親も優秀だった!子供や子孫についても調査【虎に翼】まとめ

・三淵嘉子さんの御両親

父親:東京帝大卒(今の東京大学)→台湾銀行勤務のエリートサラリーマン
母親:実家は不動産業を営む裕福なご家庭にそだち、昔ながらの母親でした

・三淵嘉子さんは2回の結婚をしています。

・1回目の夫は戦争から帰ってくるも病死
・再婚相手は、三淵乾太郎さんといい、東京地方裁判所判事を務めており裁判官のため同じ立場の関係でした。
・子供は再婚相手の連れ子も併せて5人いました。
子供の詳しい職業などはまだわかっていません。
最後までありがとうございました。
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