2014年に亡くなった日本を代表する名俳優・高倉健さんですが、
死後に判明した養女が小田貴月(おだ たか)さんです。
「徹子の部屋」にも出演されます。
孤高の人として知られる高倉健さんが養女として迎え入れた小田貴月さんってどんな人なの?
と気になる方も多いのではないでしょうか?
そこで今回は
・小田貴月さんってどんな人?若い頃は何していたの?
・高倉健さんとの馴れ初めや、なぜ養女になったの?
・現在は高倉健さんの遺産をすべて相続したって本当!?
などについてリサーチしていきたいと思います。
小田貴月さんが『高倉健、その愛。』を出版し、話題に。
小田貴月さんは俳優の高倉健さんの養女です。
高倉健さんと養子縁組をしていますが、実際は恋人・配偶者のような関係でした。
高倉健さんは2014年に亡くなりましたが、生前はこの小田貴月さんの存在は伏せられていました。
そのため、高倉健さんに養女がいて、その女性と同棲し配偶者のような関係であることはごく少数の人以外には知られていませんでした。
高倉健さんの死後に、高倉健さんの最期の17年間を支えた女性として小田貴月さんの存在が明るみに出ます。
そして、2019年に小田貴月さんは『高倉健、その愛。』を出版しました。
では、小田貴月さんのプロフィールをみてみましょう。
小田貴月さんの本名やプロフィール
高倉健さん死去から9年 パートナー小田貴月さん「最後まで高倉健でした」思い継いで生きていく #高倉健 #小田貴月 https://t.co/vYiGfRVRym pic.twitter.com/MPpViPBUQb
— 日刊スポーツ西部本社(九州・山口) (@SNikkansports) May 16, 2023
生年月日:1964年1月13日
出身:東京都板橋区
活動:女優、ジャーナリスト、ディレクター
これは、高倉健さんの本名が「小田剛一」で、その養女なので「小田貴」になります。
しかし『高倉健、その愛。』の出版を機に、小田貴月に改名しました。
1964年産まれですので、2023年現在は59歳です。
かなり美しい方ではないでしょうか?年齢を感じさせな程透明感があるように思えます。
高倉健さんとの交際が始まったのが、小田貴月さん33歳、
高倉健さんが亡くなられたのが、小田貴月さん50歳、
小田貴月さんが本の出版されたのが55歳になります。
33歳から50歳まで高倉健さんと共に過ごされていたのですね。
小田貴月さんの若い頃は女優、その後ライターに
小田貴月さんの経歴をみていきましょう。
千代田女学園高校に在学していた時にスカウトされ、千代田女学園短大で英語を学んでいましたが、中退して芸能界入りし、女優になります。
芸名は貴倉良子として活動していました。
1983年~1990年頃までの活動が主で、時代劇中心に出演していた女優でした。
当時の写真を載せます。
引用元:http://comics.sakura.ne.jp/monjiro2/mjx4095.htm
引用元:http://comics.sakura.ne.jp/monjiro2/mjx4095.htm
とても目鼻立ちがはっきりしていて、美人な方ですよね。横に高倉健さんが立っておられてもお似合いになりますね。
1990年頃からは、本名の「河野貴」として、ホテルジャーナリストやテレビディレクターとして活動するようになります。
小田貴月さんは2回の離婚歴
小田貴月さんは高倉健さんと出会うまでに2回の結婚歴と離婚歴があります。
お相手は日本人とフランス人のハーフだったようです。
小田さんの収入をあてにする様子に愛想をつかし、1か月くらいで実家へ戻ったそうです。
お相手の男性もバツイチだったため慰謝料や養育費などの出費が多く、1年位で離婚に至りました。
どちらの結婚も長続きしなかったようです。
高倉健さんと出会う32歳までに2回の結婚歴なので、情熱的な恋愛からの結婚は難しいといった経験を積まれたのかもしれませんね。
小田貴月さんと高倉健さんとの馴れ初め
小田貴月さんと高倉健さんとの出会いやお付き合いまでの馴れ初めをみてきましょう。
小田貴月さんと高倉健さんの出会いは、1996年に香港の香港リージェントホテル(現在のインターコンチネンタル)でした。
小田貴月さんは取材で香港を訪れていて、スタッフらと昼食を取るために香港リージェントホテルのレストランに行きました。
そのレストランに高倉健さんがいたのです。
小田貴月さんらスタッフはカメラ機材を抱えていたたいめ、高倉健さんに気を遣い、いったん外へ出ました。
そこに高倉健さんが現れ、「お気遣いいただき、ありがとうございました」と会釈していったのです。
また高倉健さんはスタッフに名刺を渡したそうです。
プライベートでの食事を気遣ってくれたことが嬉しかったのでしょうか。
帰国後、小田貴月さんは高倉健さんにお礼状と自分たちの雑誌を送り、そこから手紙のやりとりが始まりました。
他愛もない手紙のやり取りが1年くらい続いた頃、小田貴月さんはテレビの取材で3週間、イランに行くことになります。
高倉健さんが小田さんの身を案じて、毎日電話やFAXをくれるようになりました。
その内、プライベートのことまでも小田さんに話すようになり、帰国後も対話を重ねるなかで、やがて2人は共に暮らすようになります。
高倉からの言葉はなかったです。なんでしょうか……高倉との関係は、周波数がピタリと合ったとでもいうのでしょうか。何を言わんとしているのか、私のなかにスッと入ってきました。年齢も性差も超えた、魂のレベルで共鳴したのだと。いずれにしても言葉での説明は難しいです
小田貴月さんは高倉健さんの伴走者になろうと思い、高倉健さんを支えます。
小田貴月さん33歳、高倉健さん66歳の年齢でした。33歳差ですね。
親子ほど離れていますが、同棲生活は小田さんが母親のような関係だったようです。
「お母さん」て言われました。「いえいえ、私はお母さんじゃありません」って言ったんですけど(笑)。でも、そういう感覚だったと思います。
引用元:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/10/28/kiji/20191027s00041000474000c.html
母親のように身の回りのお世話をするだけでなく、本当の親子のような絆みたいなものがあったのでしょうか。小田さんが高倉健さんの身の周りのお世話だけではなく、精神面を支えておられたんでしょう。
なぜ養女になったのか?
高倉健さんと養子縁組をしたのは、2013年に小田さんの母親が倒れたことがきっかけです。
それ以前から、高倉健さんは長いロケに出る時は「何かあったら」と自分のサインをした婚姻届けを玄関に置いていたそうです。
患者本人の親族でない者は医師の説明を聞くこともできないと知った高倉健さんは、
小田さんの母より年上だったこともあり、自分の今後を意識するようになったそう。
高倉は「僕の方が年上だよね。なりたくはないけど、僕も病気になるリスクはある。そうなったら困るね。(2人の関係に関して)何か出しておいた方がいいのかな?」と。
引用元:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/10/28/kiji/20191027s00041000474000c.html
しかし「結婚」ではなくなぜ「養女」なのか・・・それは、
「養女」としたのは、婚姻届を出し「高倉健が結婚」となると、大騒ぎになってしまう、それを恐れてのことでした。
小田貴月さん自身も2回の結婚歴があることから、「結婚」へのこだわりはなかったのかもしれませんね。
高倉健さんの遺産をすべて相続?
小田貴月さんは高倉健さんの死後、高倉健さんの財産を全て相続されています。
遺産は総額40億円以上になるといわれ、その額は芸能界過去最高とも言われています。
小田貴月さんは高倉健さんの養女ですので、小田貴月さんが相続することは何の問題もありません。
また1971年、高倉健は江利チエミと離婚していますが、
2人には子供はいませんでした。
高倉健が亡くなった時には、実妹だけが存命でした。
しかし、死後に現れた養女が一番の相続人となるため、すべて小田貴月さんが相続しています。
小田貴月さんが「怪しい」と言われてしまう言動があります。
・死後に葬儀を終えるまで高倉健さんの妹など親族にその死を伝えなかった
・散骨したが、場所は不明、分骨も許されなかった
・愛車やクルーザーなどを次々に処分
・高倉健さんの家を取り壊して、自分名義の土地で新しい家を建設
小田さんに対して批判的な見方もあると思いますが、
これも想定の範囲内でしょうし、めげずに高倉健さんの想いを伝えてほしいですね。
小田貴月さんの現在
小田貴月さんは現在、高倉プロダクションの代表取締役を務めています。
そして、2019年には『高倉健、その愛。』を出版し、各マスコミの取材に対応しました。
引用元:AMAZON
この『高倉健、その愛。』は重版出来となるヒット作になりましたが、
疑問視する人もいるようです。
高倉健さんはできるだけプライベートを明かさない俳優だったのに、
本当にこの本の出版は高倉健さんが望んだものなのか?
など。
しかしこれからも小田貴月さんは、高倉プロダクションの代表取締役として、
高倉健さんの名誉を守っていく活動をしていくと宣言されています。
高倉健さんの姿勢や生き様がこれからも多くの人の希望になるといいですね。
まとめ
小田貴月さんは俳優の高倉健さんの養女です。
高倉健さんと養子縁組をしていますが、実際は恋人・配偶者のような関係でした。
小田さんが若い頃は女優として「必殺仕事人」など時代劇に出演していました。
その後テレビのディレクターやライター業へ。
高倉健さんとは海外のロケ中に出会い、手紙のやり取りをするうちに2人は同居するように。
小田さんの母親の病気をきっかけに高倉さんの養女に。
高倉健さんの闘病を支えました。そして高倉健さんが死後、遺産をすべて相続します。
現在は高倉プロダクションの代表取締役を務め、高倉健さんの本を出版しています。
小田貴月さんのこれからのご活躍を応援しています。最後までありがとうございました。
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