千玄室のプロフィールや経歴!妻は登三子、息子は2人で宗室の妻は元皇族!【徹子の部屋】

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徹子の部屋に茶道裏千家、前家元の大宗匠・千玄室(せん げんしつ)さんが「徹子の部屋」に出演されます。

今年で100歳を迎えられる千玄室さんは現在も平和活動のため、海外を飛び回るほど元気でらっしゃいます。

そこで今回は千玄室さんのプロフィールや経歴、家族である妻の千登三子さん、息子で長男の千宗室さん、次男の伊住政和について書いていきたいと思います。

千玄室さんのプロフィールや経歴

引用元:https://www.unic.or.jp/activities/un_japan/un_interview/genshitsu_sen/

名前:千玄室(せん げんしつ) 大宗匠(だいそうしょう)
本名:千 政興(せん まさおき)
生年月日:1923年4月19日
年齢:100歳(2023年4月現在)
出身地:京都
最終学歴: 同志社大学法経学部経済学科卒業
大宗匠(だいそうしょう)とは?
『宗匠(そうしょう)』とは、文芸・技芸にすぐれ、師である人。特に、和歌、連歌、俳諧、茶道、香道、華道などの師匠をいう。
息子である千宗室が家元を継承した後、千玄室さんは「大宗匠 千玄室」と称しています。
1923年(大正12年)4月19日:裏千家14代家元・碩叟宗室の長男として誕生。
1943年(昭和18年):学徒出陣により第14期海軍予備学生として大日本帝国海軍に入隊する。徳島海軍航空隊に転属、海軍少尉に任官。
1945年:特別攻撃隊(通称・特攻隊)に志願。10月、終戦につき除隊。同志社大学に復学。
1946年:同志社大学法経学部経済学科卒業。
1950年:ハワイ大学に修学。
1964年:父・宗室の死去により、千利休居士15代裏千家今日庵家元宗室を襲名
1993年:立命館大学客員教授に就任。
2002年:長男に家元を継承、玄室に改名
2012年:ユネスコ親善大使
2017年:2025年国際博覧会誘致特使
2002年:(財)日本国際連合協会の会長に就任
2005年:外務省から初の日本・国連親善大使に任命
2023年:国際平和に尽力されたとのことで、内閣総理大臣顕彰式が行われました
裏千家という日本古来の伝統文化を継承するなかで、ハワイ大学に留学されているのですね。
どういった思いで留学されたのかお話を聞いてみたいですね。

「一盌(いちわん)からピースフルネス」

悲惨な戦争体験からの国際平和を願い国内外で精力的に活動しています。

その考えとして、「一盌(いちわん)からピースフルネス」と称し、茶道の海外普及にも尽力していきました。

「和敬清寂の精神を持って各国を回り、少しでも世界、人類の平和のためにできれば、と大それたことを思ったんです。これは残された私の運命だと。それをやらなきゃいかんという天の声を聞いたわけです。」と後に語っています。

千玄室の妻千登三子さんとはどんな人だった?

「日本でいちばん着物が似合う方でした」といまもあちこちで語り継がれている方です。

引用元:婦人画報

名前:千登三子(せん とみこ)
旧姓:塚本 登三子
生年月日:1930年7月27日
死没:1999年3月9日(68歳没)
最終学歴:双葉高等女学校、アテネ・フランセ卒業
東京都に塚本商店会長塚本定治郎(4代塚本定右衛門)の三女として生まれる。
旧姓は塚本。塚本家は江戸時代から続く近江の豪商の家系で、明治以降は東京で繊維の総合商社塚本商店を営んでいた名家である。
千玄室と登三子はお見合いし交際した後、玄室からの結婚の申し込みに「フランス語の勉強を続けさせてほしい」という条件付きで申込みを承諾しましています。
千登三子は、国際茶道文化協会会長や裏千家学園長をつとめました。
著作に日本の伝統文化や礼儀などを茶道からとらえた「冠婚葬祭」「生活ごよみ」などがある。
職業婦人による世界最大の奉仕団体・国際ソロプチミストの日本財団理事長、日仏文化協会理事なども務めた。
1989年藍綬褒章を受章。
68歳で死去。死因は不明とされています。
千玄室さんはハワイ大学に進学され、妻の登三子さんはフランス語を勉強されていて、今後の国際的な活動が見えているような経歴ですよね。

千玄室と千登三子の間には2人の息子がいた

1956年 長男である千宗室(せん そうしつ)
1958年 次男である伊住政和(いずみ まさかず)

が産まれています。

長男、千宗室(せん そうしつ)

引用元:https://www.urasenke.or.jp/message/

名前:千宗室
本名:千 政之 (せん まさゆき)
生年月日:1956年6月7日
年齢:66歳
同志社大学文学部心理学科卒業。
2003年(平成14年)に第16代家元となり、宗室を襲名。
文筆家として知られ、随筆集を多数著している
ジャズやSFにも興味を示すなど、従来の「茶道家元」の枠に収まらない活動を展開しているようです。
2男一女がいます。

長男、千宗室の妻は元皇族

引用元:https://www.jprime.jp/articles/-/9543?page=4

妻は千容子(せん まさこ)で、三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)と同妃百合子第2女子・容子内親王に当たります。

千容子さんは裏千家に嫁いだことで苦労もされたようです。

 京都住まいに「雪が降るたびに、遠いところに来てしまった」。姑のことを「最初の2、3年はとても怖かった」などと雑誌のインタビューで語っていたことも
引用元:https://www.jprime.jp/articles/-/9543?page=4

しかし、裏千家の嫁としての仕事を全うされておられるようです。

「裏千家ともなれば、多くの行事が分刻みであります。容子さまは幼いころから女官や侍女に、時間に正確に動くことをしつけられてきました。家元の過密スケジュールも時間に正確で、家元夫人として尊敬を集める存在となりました。

引用元:https://www.jprime.jp/articles/-/9543?page=4

もともと皇族でおられ、時間や礼儀などの教育がしっかりとなされていたんでしょうね。

次男、伊住政和(いずみ まさかず)

引用元:祇園祭

名前:伊住 政和(いずみ まさかず)
生誕 1958年〈昭和33年〉6月25日 – 2003年〈平成15年〉2月2日)
同志社大学文学部を卒業。
株式会社ミリエームを創設
2000年にNHK教育テレビジョンの番組「趣味悠々」に出演
2003年 44歳で死去。死因は腎不全
伊住政和さんは、この国にある美しい歳時記や美意識、おもてなしの心を一人でも多くの人に伝えたいと思い「茶美会(さびえ)」ということばを生み出しました。
株式会社ミリエーム はどんな会社?
茶の美に出会う……それは私達が忘れかけている大切なものを思い出すための言葉です。株式会社ミリエームはこの茶美会の理念を大切にしながら、茶の湯に通じる「もてなす側」と「もてなされる側」のその両方の心を常に考えた「ものづくり」を進めています
引用元:https://millieme.jp/company/

まとめ

今回は大宗匠 千玄室さんの家族について調べてみました。

妻は千登三子で「日本一着物が似合う女性」と称され、、国内外で茶道の普及に尽力しましたが、68歳で急死しています。

長男の千宗室は現在裏千家16代目家元として活動されています。

次男は茶道関連の会社を興された実業家で茶道を世間へ広める活動をされていましたが、44歳で死去しています。

「徹子の部屋」の千玄室さんのお話が楽しみですよね。

ありがとうございました。

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