YOSHIKIは4人家族!母はレコード会社社長、父はタップダンサー、弟は会社社長で元俳優!

芸能人

今や日本の音楽業界だけではなく、世界で大活躍するYOAHIKIさん。

ロックバンド「X JAPAN」のメンバーでリーダーとドラマーを務め、現在はピアニストや音楽プロデューサーとしても活躍するYOSHIKIさん。

2022年の紅白でもをHYDE、SUGIZOとMIYAVIで構成された、「THE LAST ROCKSTARS」でカッコいいパフォーマンスを披露していたのも記憶に新しいですよね!

世界を魅了するYOSHIKIさんのルーツを知るべく、YOSHIKIさんのご家族や実家の場所について今回は調べてみましたので、最後までお付き合いください。

YOSHIKIさんは4人家族!実家はどこ?

YOSHIKIさんの家族構成は父親・母親・弟の4人家族です。

YOSHIKIさんは千葉県館山市出身です。
そして地元では結構有名な呉服屋を営んでいました。

しかし現在は誰も住んでいないようです。

YOSHIKIさんの父親はプロのタップダンサーだった

引用元:Twitter

YOSHIKIさんのご両親の結婚当初の写真です。左がYOSHIKIさんの父親ですね。

YOSHIKIさんの父親は若い頃にプロのタップダンサーとして活動していた経歴があり、またジャズやクラシックにも精通し、ピアノなど音楽好きでもありました。

またYOSHIKIさんの幼少期は両親呉服屋を継ぎ、仕事で忙しかったため、家政婦が兄弟の面倒を見ていたようで、家政婦がいる裕福な家庭で育ったことがわかります。

音楽好きだった父親から4歳の時に父親からピアノを買い与えられ、実家近くのピアノ教室でクラシックピアノを習い始めました。
また毎年誕生日には楽器を買い与えられ、トランペットやギターなども幼少期から慣れ親しんでいました。

9歳の時にはすでにピアノで作曲をするようになり、中学校ではブラスバンド部にようしょう所属してトランペットを担当していたといいます。

YOSHIKIさんの才能は音楽好きの父親からの影響が大きいようですね。

しかし、ある日悲劇が起きます。

YOSHIKIさんが小学5年生の夏休みに楽器の練習をしに学校へ通い、家に帰ったYOSHIKIさんはいつもとは違う家の雰囲気を感じます。

父親が布団に寝かされ、母親や親戚が泣いていました。最初はよくわからなったけれど、死んだことを理解したといいます。

当時のYOSHIKIさんは父親の死因は”心臓発作”と聞かされていましたが、後に親戚から「自殺だった」と聞き、さらに苦悩するように。
当時の心境をこう語っています。
 父の死を受け入れることができず「“生きてる”って何?ってことを考え始めました。『僕が生きて、なんで父は死んでるの?』って思って。『どうやって死ねば楽に死ねるのか』とかそういうことを考えてました」と小学生ながら死に方についての本を読みあさっていたと明かし「毎日(死にたいと)思ってました。弟もいますし、母もいたので。一応長男なので、何となく自分がしっかりしなきゃいけないって思ってました」と当時の心境を涙ながらに語った。
引用元:スポーツ報知
沢山の愛情を注いでくれ、大好きだった父親の突然の死・・・しかも”自殺”は本当に辛い想いを沢山されていたのでしょうね。
そういった苦しみや悲しみがYOSHIKIさんの音楽性を創っているのかもしれませんね。

YOSHIKIさんの母親はレコード会社の社長

引用元:Twitter

YOSHIKIさんの母親、林千恵子さんも、三味線を嗜んでおられ、ご両親は音楽に精通していました。

前述したように、YOSHIKIさんが10歳の時に父親が亡くなり、その後は母親が呉服屋を継いで女手一つで兄弟を育て上げました。

YOSHIKIさんはある日行きつけのレコード店でジャケットに惹かれて購入したのがKISSのシングル「ラヴ・ガン」でした。

母親に頼み込みKISSの日本武道館公演「ロックンロール・オーバー・ツアー」に連れて行ってもらったYOSHIKIはそこからロックに魅了され、11歳でドラムスを始めました。

14歳の誕生日には母親にダブルベースのドラムセットを購入してもらい、数々の楽曲をカバーして練習を積んだことが語られています。

1972年から母親の千恵子さんが社長として運営してきた呉服店を1986年からインディーズのレコード会社として「エクスタシーレコード」として運営し始めます。
しかし2003年には活動を休止していました。

エクスタシーレコードの前身は、YOSHIKIの母である故・千惠子さんが1972年11月2日に立ち上げた呉服店。86年からYOSHIKIがレコード会社・インディーズレーベルとして運営を始めると、X(現・X JAPAN)、GLAY、LUNA SEAらビッグネームを含めたビジュアル系バンドが多数在籍。88~92年まで開催されたライブイベント「エクスタシー・サミット」は、ファンの間で伝説として語り継がれている。2003年以降は、会社の活動は停止していた。

引用元:ENCOUNT

レコード会社の社長もされていた母親である林千恵子さんが2022年の5月13日に他界しました。YOSHIKIさんはSNSでこのように報告しています。

お母さんが永眠し、昨日火葬されました。
まだ心の整理ができず、涙が止まらない。
親不孝な息子だったけど、お母さんは、ずっとかけがえのない存在だった…
引用元:Twitter

父親が他界してからずっと支えてくれ愛情をくれた母親は本当に大切な存在だったでしょうね。

YOSHIKIさんの弟は現在「エクスタシーレコード」の社長で元俳優!?

引用元:Twitter

名前:林 光樹(はやし こうき)
生年月日:1970年7月22日
年齢:53歳
出身地:千葉県館山市
血液型:O型
YOSHIKIさんには弟である林光樹さんがいます。
YOSHIKIさんは年齢非公表のため、実際にはわかりませんが、5歳ほど下の弟だと言われています。
光樹さんは昔、芸能事務所「田辺エージェンシー」に所属し、人気ドラマにも多数出演していた元俳優でした。
1993年ドラマ『ダブル・キッチン』
1993年ドラマ『誰にも言えない』
1998年ドラマ『ハッピーマニア』
1998年ドラマ『神様、もう少しだけ』
1998年ドラマ『殴る女』
『世にも奇妙な物語』
2000年ドラマ『やまとなでしこ』
『やまとなでしこ』に出演した際の林光樹さん

2000年頃に事務所を退所し、2002年以降はYOSHIKIさんの強い希望もあって、所属事務所の幹部として働いていました。

林光樹さんは現在、母親の他界を機にレコード会社「エクスタシーレコード」の代表取締役社長に就任し、YOSHIKIさん始め、音楽を世界に発信し続けています。
社長としての再始動は、母親からの想いがあったようです。
母からはエクスタシーレコードについて、『頼むよ』という言葉をもらいました。母は託してくれたんです…」。光樹氏は目を真っ赤にして、言葉を詰まらせた。
引用元:ENCOUNT
またプライベートでは、「おかあさんといっしょ」の『トライ!トライ!トライ!』のおねえさんを務めてた、松野ちかさんと結婚し、子供がいます。

まとめ

YOSHIKIさんの家族構成は父・母・弟の4人家族です。

父親はプロのタップダンサーであり、クラシック・ジャズ音楽に精通しピアノも弾けました。YOSHIKIさんが10歳の時に他界します。

母親は呉服店の社長をし2人の兄弟を育てます。また呉服店をレコード会社にし、XJAPANをデビューさせます。

弟は元俳優で『やまとなでしこ』など人気ドラマに出演しますが、2000年以降はレコード会社の裏方へ。2022年母親の他界を機に代表取締役社長として奮闘しています。

 

最後までありがとうございました。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
芸能人
しおりんをフォローする
トレンドカフェ

コメント

タイトルとURLをコピーしました